郷里は心に宿る 第二の人生を“最高“に生きる〈牛島の塩コーヒー ドラゴンカフェ – 久保竜彦さん〉≪前編≫【人物百景@たぶせ】

人物百景@たぶせ

人物百景@たぶせ、第8話は特別編。

ー 気持ちいい所には気持ちいい人がいる。

栄光のスタープレイヤーという看板を降ろした時、心が求めたのは懐かしい郷里での暮らしの思い出。

サッカー選手を引退し、新しい拠点に光市室積を選んだ久保竜彦さんのお話を伺うことが出来ました。

名前:久保 竜彦(くぼ たつひこ)

プロフィール:福岡県のご出身で、現在は光市室積にご在住。

言わずと知れた日本を代表するサッカー選手。

現役引退後、一目惚れした室積に移住し、そこで出会った牛島の海水からとれる塩の魅力に取りつかれ、その塩で焙煎したコーヒーを主としたドラゴンカフェを運営しながら塩づくりや畑づくり、趣味の釣りを楽しみながら”気持ちいい場所”と称する室積で家族と暮らす。

更に、今でも全国を飛び回りサッカーを主体とした活動に精力的にご活躍中。

元サッカー日本代表の久保竜彦さんが光市でカフェ出店 自家焙煎コーヒー提供 – 周南経済新聞

元サッカー日本代表の久保竜彦さんが光市でカフェ出店 自家焙煎コーヒー提供 - 周南経済新聞

(聞き手=高月圭子さん“オンラインカフェいちにのさん“にて)

(撮影・記事=田原)

高月圭子さん主催のオンラインカフェ”いちにのさん”にての一幕。手造り工房農多さんののいちじくミックスジュースを「美味しい!」と楽しんでいただきました。

久保さんと高月さんの対談動画 – オンラインカフェ『いちにのさん』

一目惚れした象鼻ヶ崎の絶景

久保さんが室積に移住したのは3年前(2019年)のこと。

現役引退後、全国でサッカーに携わりながら新しい拠点を探していた久保さんは、ぽっかり空いた心に芽生えた“故郷“のイメージに室積がぴったりとハマったそう。

現役時代から世界を股にかけ、日々色々な“気持ちの良い場所“を探していた久保さんが一番気に入ったという場所が象鼻ヶ岬。その名の通り象の鼻の形をした砂洲は、弘法大師が訪れたとされる全国有数の景勝地で、それを目にした久保さんは、グッときたその土地へ移住をそのまま決めてしまいました。

久保さん):

自分が小さなころ育った場所が田舎で、Jリーガーしながらもそういう気持ちいいところは探してて。仕事で訪れては全国色々紹介してもらったりしたんですけど、自分は瀬戸内でしたね。

グッときたのが室積でした。

一番気に入ったのが室積の一番先っぽのところですね。

高月さん):

象鼻ヶ岬!

久保さん):

そうそう!一週間ぐらいで(移住を)決めましたね。

奥に見えるのが象鼻ヶ岬。場所によってはもっときれいに眺められるそう。

家族にそう決めたことを相談すると、「えっ?!」と言われはしたものの、その決意が揺らぐ事はなく、その瞬間から久保さんと室積の新しい物語が紐解かれることとなったのです。

奥さまは最強のパートナー

高月さん):

奥さまのご協力もあって叶った移住ですよね。

久保さん):

嫁さんのほうが「大丈夫なん?」っていう感じで。何の計画もなく言い出したから。

でも来てみると自分よりも嫁さんの方が早く馴染んで、知り合いとかもバーっとできて、俺は「いいなぁ…」とか思いながら一人でずっと釣りとかしてたんですけどね、1年くらい。。

奥さまが)先に行って友達作って待ってたから、自分も少しずつ地域に入れて、馴染んでいけたって感じですね。

高月さん):

奥さまご自身が温かい、本当に素敵な方で、本当に影で支えてらっしゃいますよね。

「(室積って)いい方ばっかりなんですよ。」っておっしゃていたのがとても印象的で、温かく素敵な方だなという印象です。

高校の時に出会ってそのまま人生の伴侶としていつでも久保さんを支え続ける奥さま佳奈子さん。

今も久保さんのマネジメントからお店の手伝いと全面サポートで縁の下から支え続けています。

サッカー選手だった時のゴシップ的なイメージのせいか、久保さんとお会いすると、その自然で屈託のない笑顔で気さくに接してくださる事に多少驚きがあるのですが、

それでもやはり“人見知りだ“という久保さんの少年のような雰囲気を引き出しているのは、久保さん自身にとっても羨ましいと感じる加奈子さんの誰とでもすぐ仲良くなれて、温かく素敵な雰囲気なのではないでしょうか。

現役の時とは少し雰囲気の変わったような気がする久保さんのご様子からも、息の合うご家族の温かい雰囲気が伝え漏れてくるような気がしました。

今は出来ない牛島での塩づくりへの想い

高月さん):

初めてお店にお邪魔したときに、お二人のファンになったんです!(※高月さんは応援が趣味らしい。)

お店からの帰り際にコーヒーをいただいて、“牛島の塩“の大きい袋を取ってお会計しようとしたら久保さんから

「グラム換算すると小さい袋の方がお得ですよ。」

と仰ったのに嘘がない正直な方だなぁと感激したんですよ。

そんな裏表のない久保さんにとって、たまたま出会ったその”牛島の塩”が室積での暮らしのターニングポイントになったようです。

海洋博士の新井章吾さんがきっかけで牛島の塩に出会い、率直に「面白そうだ」と興味が沸いて始めた牛島での塩づくり。

大潮の時に汲んできた海水から作る塩が一段と味がよく、久保さんにとっては特に7、8月に作る塩が美味しく感じるそう。

島では塩だけでなく、海藻を肥料としたより自然の生態系に近い環境での野菜づくりにも取り組まれているようです。

現役時代、満身創痍の体を通して体験した“食“の重要性を、自分自身で気に入った人や時間に囚われない自然な暮らしの中で手に入れる。

現在は新型コロナ感染症の影響で1年以上島に渡れず取り組めない状態が続いているのが残念な限り。

久保さん):

今は島へは渡れないけど、その時が来たらまた(塩づくりを)やれると思うから。

移住も含め、時流の流れに沿って自然体で過ごすのが久保さんらしく、美しく感じます。

久保さんの”牛島の塩”づくりの再開が待ち遠しいですね!!

『最高のセンターフォワード』のやり残した想い

高月さん):

サッカーについてやり残した事とか悔いはありますか?

久保さん):

サッカーではやっぱりW杯に出たかったですね。

W杯…そうですね。

やっぱ本気の男が22人集まって戦う大会だと思うから、自分の中では特別というか、『死んでもいい』じゃないけど。

もう一度やり直せるのなら思いますね…戻りたいというか、もう一回チャレンジしたいというのは思いますね。

久保さんとってW杯への出場のチャンスがあったのはジーコ監督率いる2006年と、岡田監督率いる2010年だったと回顧されながらお話くださいました。

特に、2006年のW杯を率いたジーコ監督にとっての久保選手は、世界にサプライズを予言させる「最高のセンターフォワード」

『あの舞台に久保竜彦がいればどうなっていたか。』

サッカーファンにとって幾つかの“たられば“に必ず数えられる語り種

しかし、当時極限まで無理を重ねた腰や膝の状態は芳しくなく、それでもW杯に対する強い想いで医療も民間療法も、出来ることは全てした中での選外は、久保さんにも人生の矛先を大きく左右した出来事。

「誰にも負けたくない」

決してエリートコースではなく、コーチもいない田舎の野山でマラドーナや日向小次郎を目指してサッカーボールに夢中になった少年時代から、

多くの人が『別格』と称し期待した、“ドラゴンたる所以“を背負ってプレーした選手としての久保さんの心情を我々が理解できる筈もないものの、

自分の当時の想いを話してくださったこと。「負けず嫌いだった」と自ら称した久保さんの飾ることのない言葉の懐の深さが心に響きました。

そうでない子もいるから

そんな久保の送迎の車中、久保さん自身の負けず嫌いだったエピソードから子どもとのスポーツ育成の話題に。

「まあ、スポーツの原動力は基本的に負けず嫌いからですもんね。」という我々の問いかけに対して

久保さん):

まあ、そうでない子もいるからね。

と、何気なくおっしゃったこともまた印象的でした。

後編はこちら↓↓↓

郷里は心に宿る 第二の人生を“最高“に生きる〈牛島の塩コーヒー ドラゴンカフェ – 久保竜彦さん〉≪後編≫【人物百景@たぶせ】

元サッカー日本代表の久保竜彦さんが光市でカフェ出店 自家焙煎コーヒー提供 – 周南経済新聞

元サッカー日本代表の久保竜彦さんが光市でカフェ出店 自家焙煎コーヒー提供 - 周南経済新聞

※『人物百景@たぶせ』は、菊名池古民家放送局(https://www.kominka.tv)から暖簾分けを受けた、まちで生きる人々を取材して、まちをより深く知るためのコーナーです。

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